
2020年5月24日 生きた水 ヨハネ福音書7:37~39
人は誰でも欲望を持っています。それが悪いとは言いませんが、しかし、それを満足させようとお金や物や地位や名誉などを追及して満足を得ようとします。順調に言っている時は、それで満足を得ることができるかも知れません。あるいは、幸福を感じるかも知れません。しかし、それは長く続くことはありません。人は人生において重大な危機を迎えた時、それまで、気づけなかった霊の渇きが現われてきます。霊の渇きは、この世のもので満たすことはできません。それは人間のみが覚える苦しみです。その原因となるのは、自分自身の罪です。古代教父の神学者のひとりアウグスティヌスは「人は神に向けて造られた。だから神のもとに帰るまでは平安を得ることができない」と自らの経験を通して告白しています。私たちは神から逸れて反対方向に向かっている状態を罪と言います。この問題が解決しない限り、いくらこの世のもので霊の渇きを満たそうとしてもできません。その赦しがなければならないのです。その赦しは、イエスのもとにあります。その御方のもとに行けば、生きた水が川となって流れ出るようになります。その生きた水とは聖霊です。聖霊が降るとイエスが言われた約束は実現します。では、聖霊はいつ降るのか、というと、イエスが栄光をお受けになられる時です。その時とは、イエスが十字架で死んで復活し、父なる神の右の玉座に座する時です。私たちは、その日をペンテコステと呼びます。霊の渇きを真剣に潤したい人は、イエスのもとに行きます。イエスは、御自分を求める者、信じる者に聖霊をタダで与えてくださいます。聖霊は、私たちに注がれている神の愛を悟らせてくださいます。聖霊の働きによって気づかせてくださる神の愛のみが霊の渇きを潤すことができます。それだけでなく、生きた水が水源となって私たちの内から流れ出で、他者をも潤すようになるというのです。つまり、神は、私たちの伝道を用いて、人を御自分のところに導かれ、生きた水を与えられるのです。来週は、ペンテコステ主日です。その日に、信じる者すべての上に注がれた恵みを覚えたいと思います。私たちは、それによって自分の霊が満たされていく喜びを味わい知るのです。
