起き上りなさい。床を担いで歩きなさい。ヨハネ5:1~9 2022年10月23日
ここには、第三のしるしが行われたことが記されています。そのしるしとは、38年もの間、病気で寝たきりの人をイエスの言葉によって起き上らせ歩かせたという癒しの奇跡です。ベトザタの池にある回廊には多くの病人たちが横たわり、水が
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2022年 8月21日 神の愛 ヨハネ3:16~21
今日のテキストは、「福音書の中の福音」と言われる箇所です。「キリスト教とは何ですか」と問われた時に、この聖句を示せばいいと思います。これは、イエスの言葉であると同時に教会の信仰告白でもあります。ですから、ここにはイエスの
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2021年10月17日 神が与えてくださる体 第一コリント15:35~41
15章には、死者の復活のことについて語られています。パウロは、また、聖書は、死者の復活を前提にして語られています。そこには疑いの余地はありません。となると、どのような体で復活するのかが問題になってきます。もし、死者の復活
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2021年10月10日 死の向こう側を見つめる 第一コリント15:29~34
今日の本文は、イエスによって与えられている復活への希望がなければ、私たちの生活や信仰はどうなってしまうのか、ということについて語られています。それを3つのポイントで説明されています。 まず、1つ目は、29節の御言葉です。
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2021年2月21日 唯一の神、唯一の主 第一コリント8:4~6
偶像の神などいないという認識は、生ける真の神との出会いにおいて与えられるものです。ですから、この出会いがなければ、いくら私たちがその内容を説明しても誰も信じることはできないでしょう。かつてコリント教会の人々もギリシャの神
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2020年9月27日 書かれているもの以上に出ない 第一コリント4:6~7
私たちには人を裁く資格はありません。ところが、コリント教会において、それが平然と行われていました。自分を基準にして人を裁くことは、高ぶることであり、それは、人へのというよりも神への高ぶりです。人を裁くことができる唯一の御
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2020年9月20日 私たちを裁くのは主 第一コリント4:1~5
パウロは、コリント教会の人々から裁かれています。まるで、何か犯罪の検疑をかけられているかのようです。しかし、実際は、そうではありません。彼らは、パウロの教えや主張に疑いを持ち、批判しています。それに対してパウロは、「私に
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2020年9月13日 本当に知恵あるものとなるために 第一コリント3:16~23
神殿を破壊する者は、滅びるとパウロは警告しています。神殿とは、建物のことではなく、礼拝を献げる者たちの群れのことを指します。その群れを破壊するとはどういうことなのか。当時のコリント教会において深刻な問題がありました。それ
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2020年9月6日 何を土台としているか 第一コリント3:10~17
建物を建てる時に重要なのは、その土台です。土台がなければ、建物は安定せず、やがて崩れてしまいます。パウロは、その土台をイエス・キリストであり、それを私は据えたと述べています。つまり、キリストを宣べ伝えたということです。彼
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2020年8月30日 大人になりなさい 第一コリント3:5~9
私たちの信仰は、過去のある時点において神から与えられたものです。過去から現在までの過程の中で私たちの信仰はどのような状態で、ここまで来たのでしょうか。信仰は、別の言い方をすれば、信頼です。信頼が成り立つところには愛が働い
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