2020年9月27日 書かれているもの以上に出ない 第一コリント4:6~7
更新日: 2020年09月27日
私たちには人を裁く資格はありません。ところが、コリント教会において、それが平然と行われていました。自分を基準にして人を裁くことは、高ぶることであり、それは、人へのというよりも神への高ぶりです。人を裁くことができる唯一の御方は、イエス・キリストです。その御方を差し置いて自分が自分自身を、また、他者を裁くことは罪です。聖書の教えに従って私たちは生きなければなりません。しかし、そこに、自分の考えや思いが強くなると聖書の教えを越えてしまいます。また、自分の考えや主張を正当化するために都合のいい聖句を引っ張ってきてもいけません。そのようなやり方は、聖書の教えを誤解する危険性があります。ですから、私たちは、聖書が何を語っているのかをしっかりと汲み取っていかなければなりません。つまり、聖書全体から解釈しなければならないのです。私たちは、すべてのものを神からいただいています。その中で特に大きなものは十字架のキリストによってもたらされた罪の赦しと死からの復活、永遠の命の約束です。それらは、私たちの知識や知恵、および良い行いによって得られるものではありません。にもかかわらず、それらを自分の手で獲得したというならば、その人は、自分を欺き、偽っています。私たちは、自分を誇り、高ぶるのではなく、キリストの十字架の前にへりくだらなければなりません。どちらが良いか悪いか、正しいか間違いか、優っているか劣っているかという問題ではないのです。私たちがキリストの前でへりくだる時、自分を誇ること、他人を見下すことが愚かと思えるようになります。つまり、高ぶりから解放されます。その結果、兄弟姉妹への見方が変わってきます。つまり、キリストによって神の恵みを受けている者として人々を見れるようになります。