在日大韓基督教会 大阪築港教会

OSAKA SEASIDE KOREAN CHURCH
 1954年6月9日 創立
■Tel・Fax 06-6573-2540
■メールでのお問い合わせ
 info@chikkou-church.holy.jp
礼拝堂風景
HOME > 説教 > 2020年9月6日 何を土台としているか 第一コリント3:10~17

2020年9月6日 何を土台としているか 第一コリント3:10~17

建物を建てる時に重要なのは、その土台です。土台がなければ、建物は安定せず、やがて崩れてしまいます。パウロは、その土台をイエス・キリストであり、それを私は据えたと述べています。つまり、キリストを宣べ伝えたということです。彼は、それを自分の知恵や能力によって据えたのではなく、神の恵みによって据えました。教会の土台は、イエス・キリストです。具体的には、十字架につけられたキリストです。その上に、建物を建てるべきなのです。しかし、それ以外のものを土台としてしまうなら「かの日」に耐えることはできません。かの日とは、キリストが再臨される日のことです。そして、その日には、審きの火によって、それが残るものなのか、燃え尽きてしまうのかがはっきりと分かります。もし、残るものであるならば、主は喜ばれ、その報いを受けます。しかし、燃え尽きてしまうならば、損害を被ります。私たちは、既にキリストによって救われていますが、キリストが再臨された時、柔和な顔で迎え入られることが良いのか、それとも怒りの顔で迎えられることが良いのか。どちらでしょうか。私たちは燃え残る「金、銀、宝石」で建物を建てるべきです。したがって、何によって建物を建てているか、その素材を慎重に選ばなければなりません。その選別の規準として十字架につけられたキリストに照り合わせて、よくマッチするかを吟味しなければなりません。しかし、私たちは、燃え残る建物を建てることができるのでしょうか。たとえ、私たちが間違った建てかたをしても、悪い素材を使ったとしても土台がしっかりしているので、つまり、神の恵みの中にあるので、救いに漏れることはありません。どうか、主の土台の上に建物を建てることができる私たちでありますように。