
2020年8月2日 パウロの決意が意味するもの 第一コリント2:1~5
更新日: 2020年08月02日
パウロは、コリントでの伝道において、優れた言葉や知恵を用いませんでした。むしろ、十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいという決意のもとで伝道を展開して行きました。これは、どういう意味なのでしょうか。それは、彼がキリストとの出会いによって、その十字架には人を救うことのできる神の力があることを体験したからです。人の知恵や、努力だけでは、罪の中にある自分を救い出すことはできません。罪人が救くわれるためには、人生の拠り所としているもの、その土台となっているものを手放さなければなりません。自分が誇りとしているもの、人生の土台としているものを手放すことは、まさに、衰弱、恐れ、不安に陥ることです。しかし、その中で、十字架につけられたキリストが、自分を受け止め、支えてくださっていることに気づきます。つまり、自分を生かしておられるのは神の力であるということが分かるのです。自分の力や豊かさが自分自身に喜び、平安、希望をもたらすのではなく、十字架に示された神の力なのです。そのことを知ったパウロは、この世的な知恵を用いずに、霊と力の証明によって、つまり、聖霊の働きによって伝道を始めたのです。私たちは何を誇りとし、人生の土台に据えているのでしょうか。十字架につけられたキリストのみを誇り、人生の土台に据えましょう。そうすれば、この世がもたらす喜び、平安、希望ではなく、神からの恵みとして与えられる喜び、平安、希望、すなわち、救いをいただくことができます。
