
2020年8月9日 救われるためには・・・ 第一コリント2:6~9
更新日: 2020年08月09日
人間の知恵によって、信仰を、救いを獲得することは不可能です。もし、それが可能というのであれば、救いは、人間の力によって獲得できるものとなり、キリストの十字架が虚しくなり、その必要性がなくなります。そうなると、パウロがこれまで宣べ伝えて来たことに逆行することになります。神の救いは、神の恵みによって与えられるものです。恵みとは、旧約では「身分の低い者に対して親切にするとか、身をかがめる」という意味で使われ、新約では「好意、誠意、慈愛」という意味で使われます。このどちらにも共通することは、神の恵みは、それを受けるにふさわしくない対象に対して示される神の愛だということです。神の恵みは、神の怒りと裁きしか受ける資格のない罪人に対する神の側からの愛と憐れみを示す行為です。私たちがその恵みを受け取るには、キリストの十字架の前で、自分の心に据えてしまっているもの、拠り所にしてしまっているもの、人生の土台にしてしまっているものを放棄しなければなりません。それは、人間の知恵であったり、富であったり、地位であったりします。それを放棄するのです。つまり、神の前で裸になるのです。別の言い方をすれば、へりくだることです。へりくだってこそ、神の恵みを恵みとして素直に感謝して受け取ることができます。
